建築の行方 2004.11.7

最近の建築ってドンドン面白くなっていますが、今後いったいどうなっていくのでしょう!
僕が行った事がある建築のいくつかをピックアップする事で、建築の方向性を探ってみました。

 

 

鳳翔台
1677年

日本建築の結晶と言うべき数奇屋建築。建築を構成している言語が少なくかつ洗練されているんで、存在感が薄い事が特徴である。外部空間とかなり密接な関係にある。

 

ル・コルビュジエ
サボア邸
1931年

近代建築とは何かと問われて、言葉に詰まるようならこう答えればいい!「サボア邸そのものです」と!
近代建築が目指したのもそれは「自由な建築」と言っていいだろう!スチールの登場によって建築は透明化し、大幅に構造上の制限がなくなり、規格化されていく。
1923年コルビュジェは「住宅は住む機械である」と言っている。この頃の建築はいかに人間が住むための理想とする条件(環境)をクリアするかを求められたが、その理想をクリアする為にコルビュジェは5原則(自由な平面プラン、屋上庭園、水平横長の窓、自由はファサード、ピロティ)を提唱している。石の壁の家に比べるとこの建築は光、自由度に溢れていてこの頃の人達にとっては機械のように何でも可能にしてくれる箱だったのだろう!

前川国男
京都文化会館
1960年

欧米の近代建築の波が日本にも押し寄せ(1900〜)、地震も経験し、1950年頃から日本の風土にあった日本古来の表現を近代建築とミックスした建築も見られるようになった。

言わばこのポイントは日本建築の歴史が再度動き始めた位置と言える。第二次世界大戦以前は欧米の模倣に始まり、日本の大きな地震に耐える建築にする事で精一杯であった。一方、日本が造り上げてきた建築美といったものは、建築の歴史からは外されていたが、京都文化会館のように見事にその2つ(日本の建築美と耐震技術)をミックスさせた作品も見られるようになる。

安藤忠雄
住吉の長屋
1976年

で、1976年この問題作の登場である。
寝室からトイレに行くとき濡れてしまうようなこの建築は、建築に必要なものは機能性や快適性だけではなく、自然を感じ、心を育むといった、言わば人間らしくあるといったあたり前の事を作り出すといった「攻撃的」な面も持っている。

この事は建築がただの箱といったあくまで受身の存在から、能動的な存在になる事で様々な事を使い手に提案していく事が可能だという事を示唆している。

原広司
京都駅
1997年

建築のランドマークとしての性質は何処までいっても消える事はないだろう、ビラミッド、塔、城等その姿形が都市といっただらけた広がりのアクセントになっている事は間違いないだろうが、バブル期に建てられた、多くの建築は街と呼応せずに存在している。

この建築は京都といった歴史的な都市の異質なランドマークとして建設された訳だが、人々が集まり、滞在し、京都に新しい風を吹き入れている。建築はしばしばこうした、変革の装置として使われるが、間違ってはいけないのは、その存在が必然でなければならない。風が無い所に風車を置いても意味がないのは誰でも解かるだろうが、そうした建築が多く建設される現実がある。

SANNA
21世紀美術館
2004年

そうした現状の変革装置として建築がある場合に大切な事は、装置を操作する人が必要という事である。その「装置」と「使い手」の関係が縮まる程、建築の可能性は広がり、その可能性を受けて建築が又変化する。その繰り返しなんだろうが、建築側が一方的に受け手だといい建築になるはずがない!切磋琢磨して改良していってこそ当然意味あるのもにならないだろう。

この建築はそういった意味での「装置」と「使い手」の距離が凄い近い!こうした都市軸を建物内部に取り込む建築は以前から多く存在するが(富山市民プラザ)ここまで明確に表現されている建築は少ない。そしてこの建築が成功したという事は、今後こういった距離が近い建築もどんどんと出てくる可能性を示唆している。

 

アトガキ

「ヒカルの碁」で世界中の碁の棋士達が切磋琢磨して、一つの碁の頂点「神の一手」を目指しているみたいな事が
書いてあるが、建築の世界にもそれとまったく同じ事が言える。
色んな建築が建設されていき、それを見たり体験したりする事でそれよりいい建築を作ろうと皆が思案する。
色んな要素を取り入れ、吐き出し今の建築の姿がある訳である。
地球上に「神の建築」といったものがあるとすれば、それは地球そのものであり、色んな場所はそれぞれ違う特徴が
あり実にバラエティーや可能性に富んでいる。僕達はその大きな建築の中に、さらにもう一つフェイルターとしての建築
を作る事で、自分達に適した環境を仮設している訳である。「神の建築」は魅力的で刺激的であるが、このか弱き
僕ら人間に対しては、刺激的すぎる。となれば、僕達人間の建築はいかにこの「刺激」を調節する又は、切り取る、
模倣するかがテーマになっていくのだろうが近年、建築技術の発展に伴い、その可能性はかなり広がってきていると
いっていいだろう!今後どんな建築が出来ていくか非常に楽しみである。もしくは僕が作る。

 

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